芳之助の俳句日誌
孫 3歳 母 みつ 家  族 明るい社会へ 趣味・風景
1983年12月12日 芳之助 母 みつ死去 享年85歳
母危篤 シャコバサボテン なえ萎む

夕焼けに 雲たちふさがり 富士見えず

妹と 母の病状 きく寒さ

管のどに 替えて静かな 母の顔


祖母見舞い 声つまらせて 夜の街(娘と母を見舞う)

孫を抱き ママのオバアチャン ネンネねと
      (娘一家もいっしょに病院に母見舞う)

電話鳴る 度にドキッと 置炬燵

病院を 出れば 池上本門寺

母病状 もち直しいて 本門寺
  (母の病状昨日より良好 妹と本門寺を歩く)

冬の雲 車窓に流れ 息とめる
 (十六時十五分南武線で帰る途中母死去
            帰宅し電話あったと知る)

友引を さけて仮通夜 障子風


帷子に なじみの住職 経を書き

戒名は 日光信女 枕経
(仮通夜で納棺)

冬の暮
 花輪の前で 車とめ

チャンづけで 呼ばれる人々 喪服来て

縁先で 焼香する人 われ老いぬ
 (会葬者は弟・妹の関係者たち)

曾孫きて 喪服の肩から 顔を出し
(孫前の方に来てめずらしそうに坊さんの読経を見たり)

母葬儀 願い通りの 小春かな

山茶花の 落ちるが如く 母は往く

遺族席 長男老いて 控えめに
(遺牌は弟 遺影は妹 挨拶は義弟 われ用なし)

「ママノオバアチャン ドコイッタノ」 お骨拾い


朝昼晩 よくも眠れて 母供養

母建立 墓石の文字に 春の雨


百ヵ日 曾孫騒いで 春供養